2021-04-22 第204回国会 参議院 厚生労働委員会 第11号
私も元々おりました心臓血管外科の医局が、本当に長い歴史の中で何百人の医局員を輩出しているんですが、二〇一三年から心臓血管外科女性医師の会というのをつくりまして、今六名が何と心臓血管外科で今活躍しておられるということで、キャリアパス相談支援というものを非常に充実させているというふうに聞いて、私も大変驚いたことがございました。
私も元々おりました心臓血管外科の医局が、本当に長い歴史の中で何百人の医局員を輩出しているんですが、二〇一三年から心臓血管外科女性医師の会というのをつくりまして、今六名が何と心臓血管外科で今活躍しておられるということで、キャリアパス相談支援というものを非常に充実させているというふうに聞いて、私も大変驚いたことがございました。
彼の先輩、後輩、医局員の方々のつながる人たちも私の方に連絡がありました。これは事実として申し上げますが。しかし、それと、法案については今後議論になると思いますけれども、それはそれとして、これは大変大きな問題、日本のトップの大学ですからね。そのことを重ねて申し上げておきます。 さて、障害者の法定雇用率水増し問題に移ります。
田舎の医療というのは、都会の例えば東大、旧帝国大学を中心とした大きな医局が多くの医局員を抱えて、それを過疎地や地域の医療を守るために関連病院に派遣しているということなんです。私の母校の名古屋大学も、かつては秋田とかに医者を送っていたり、そういったこともありました。
女性活躍という言葉をしばらく女性活用というふうに表現していた時代が行政もあったと思いますけれども、それはやめてほしいということで女性活躍という言葉を使っていると思いますが、なかなか、医局同士で話しているときも、医局員同士で話すときも、医師確保というような話はやはり行政の上から目線という感覚が非常にいたします。確保される存在なんでしょうか。
私は認定内科医の資格を取るために初期研修の二年プラス一年を内科で過ごした後に小児科に入局しておりますが、我々を迎えてくれた指導医の先生は、非常に深いため息をつきながら、今回の、平成十六年ですけれども、制度の変更に伴って後輩の医局員が二年間入ってこなくて、そして大学病院で重症の患者さんを抱えひたすら下働きを頑張りましたと、その間、大学病院に余りにも人手がなくなったので、泣く泣く関連病院から医師を引き揚
無給医局員というのがいっぱいいた頃の話ですから。それでも厚生年金でした。ただし、月末の雇用形態で決まるので、三月三十一日は雇用されておりませんから、一日だけの関係で三月は国民年金になるということで、毎年一回未納の月が出るという問題がありました。これはそういう仕組みで、仕組みの問題なんだと私、何度も言いましたが、足立は未納があったと言われました。 今、これ変わっているんでしょうか。
さらに、大学の勤務医というものは、医局員と呼ばれますけれども、医局員は実は非常勤の方が半分以上です。ということは、非常勤であるがために、産休中に雇用期間が終わってしまうとそのまま退職に追いやられてしまうようなケースも多いです。 実は、派遣法、今回議論されることはございませんでしたけれども、産休、育休中の医師、例外的に派遣会社を利用するということがこれは認められております。
中野区立の診療室、今でも医局員をさせていただいて、多くの患者さん、小さいときから成人以降の皆さんも拝見してきています。 その中で、やはり皆さんが二十歳になったとき、ずっと病気は、もちろん良くなって途中で自然に治って寛解してもらえばそれはいいにこしたことはありません。
また、大学につきまして、放送大学以外の通信制及び短大を除く大学の任期つき本務教員数は約四万三千人、また、医局員その他の研究員ということで約二万七千人いらっしゃいますが、この中に無期雇用と有期雇用の方がおられます。 また、研究開発法人あるいは大学等の技能者につきましては約一万七千人ということで、この中に無期雇用と有期雇用の方がいらっしゃるというところでございます。
それが、かつて九人ぐらいいて運営されていたのが今四人に減ってしまって、五年間で二人しか新入の医局員が入らないということですから、これはもう維持できなくなって、じり貧になってきたと。
昔の無給医局員みたいな人が膨大に存在する。
それは何かというと、東北大の産婦人科の医局に十数人の新入医局員が入ってきたということです。なぜそういうことになったのですかと教授に尋ねたところ、まず最初に半年間産婦人科を回らせるんだそうです。そして、その半年間産婦人科を回っている間、現場で一生懸命やっている医者の姿を見て、大変ではあるけれどもやっぱりやりがいがあって一生懸命やろうじゃないか、まずそこでモチベーションが全然違ってくると。
もう大学病院でもそういう状況で、医局員が四人か五人しかいないという、そういうお話もお伺いいたしました。 ですから、その産科のことというのはもう本当に待ったなしだということを申し上げたいのと、私は、勤務していたときに、薬の入力などを例えば事務の人にお願いしたら一時間半から二時間ぐらい外来の時間が短縮できたんですね。それだけでそのぐらい違います。
それは何かというと、私のような無給医局員がいて、その無給医局員に対して、無給医局員というのは金を大学から一円ももらっていない人間がいるわけです。それをそのまましておくのはおかしいので、何らかの形で合法化しましょうといって大学院の制度が僕は導入されたというふうに私たちは認識しております。
その間は、もちろん医局員、それから看護師さん等はてんてこ舞いの状態になっているわけなんですが、記者会見をされたのが午前の四時半です。私もそれを見ておりました。 それから法医解剖というのをやっています。法医解剖は主治医が付き添わないとできないわけなので、これが行われたのが早朝になります。
その大きな契機となりましたのは、私は、これもこの委員会であるいは他の委員会で御議論させていただきましたが、福島県立大野病院の産婦人科医らが刑事訴追をされるという事件が一つ端を発して、そして大学の医局が、特にこの一人医長、そうした一人で極めて難しい手術も含めてやっているような現場から医局員を引き揚げざるを得ないと、こういうやむにやまれぬ御判断ではあったと思いますけれども。
無給医局員をどうするかという議論になって、たしか大学院大学という形でもう身分の保障、身分というか、そういう身分にしてしまって、これは研究するという大義名分を付けていますが、実際のところはどういうことから起こっているのかといえば、その大学病院そのものがその人たちに対して給料を支払えないからなんじゃないのかなと、私は個人的にそう思っています。
先週、私も大学院生そして大学の無給医局員の時代に国民年金を支払っておりませんでした、その責任を取りまして特別委員長を辞任いたしました。今回は一兵卒に戻って年金の議論に参加させていただきたい。委員長の職にありまして、今年はこういう場に一度も立っておりません。今年初めての質問でございます。是非よろしくお願いいたします。
その中で、私は、国会議員になってから国民年金はきちんと支払っておりましたが、大学病院勤務時代、無給医局員のとき、そして大学院生のときに、国民年金未加入で未納でございました。 今回は、その責任を取るとともに、もう一つは、けじめを付けた上で、今の年金制度の在り方を抜本的に改革するために国会できちんとした議論に参加したいという思いで、今回は辞めさせていただくことにいたしました。
それは、やはり大学によって差があるでしょうし、医局によっても差があるでしょうし、その医局を統括する大学の教授の質によっても違いがあると思いますけれども、やはりいろんな新聞報道やテレビ報道で既に明らかになっておりますが、こういう医局員として働いている若いお医者さんたちは相当悲惨なコンディションで生活をしていると。
まず、嫌な派遣先を医局員が拒否した場合、医局から陰湿ないじめに遭うこともありますとか、派遣先を紹介されて拒否した場合、医局をやめさせられる、よくてもいじめに遭い続けることになり、出世はできないとか、講師以下の医局員は将棋のこまのように飛ばされますとか、医局長、教授の指示で派遣された病院からほかの病院へ移ることが決まりますとか、これはまさしく、昨年の委員会の議論で私からこういう疑いがあるのじゃないですかということを
ですから、そうすると医局からの応援をもらわなければいけないことになりますから、医局員を何らかの形で積極的に派遣できるようなそういう体制を是非考えていただきたいと思うんです。 その上で、私、一つ提案があるんですが、我々、実験助手みたいなことをやらされているわけですよ、研究施設ですから、大学病院は。
特に、無給医局員で苦しんでいる人たちも今度いますので、もちろん研修医の問題も大事なんですけれども、無給医局員をどうするかということもこれから議論していかなきゃいけないわけです。